過去の独り言 1
(その1)はじめての独り言
今夜遅く、一人でおじさんの独り言を書いています。いつまで続くか?
最近の日本を見るといやな話ばかりで、昔はやった“日本沈没”が本当に起こるのではと思ったり、しています。小松左京の“日本沈没”は日本列島が沈没しましたが、どうも、其の前に国自身の沈没となりそうです。ヤンババ、少年犯罪、中年の犯罪増加、それにもまして、かの蜃気楼総理の発言。かとおもえば、食品メーカーの基本となる安全性を無視した効率優先の考え方、バケツで原子炉に火をともしてしまったJCOなど、全くこれからの日本はどうなるのでしょう。おじさんとしては、あまり先は長くないのでとりあえず、何とかなればいい、と変に達観しています。(これでいいのかな?でも若い人は環境の変化に対応することができるので多分いいのだろう)でも、若い人は大変だ、日本の財政赤字は一人あたり500万円になるらしい、4人家族なら2000万円となる。年収500万円の人なら、4年分の年収が借金となり、いずれはローンで返さなければ。家のローンとあわせると2倍になる。ほんとにやっていけるのか、おじさんとしては少し心配。経済が良くなれば返すのは簡単だといっている人もいる、事実、双子の赤字で苦しんだアメリカがいまや10年間の経済成長によって財政黒字に転換している。ここで違うのは、アメリカは色々な国から優秀な人材を受け入れ活躍できる素地と大きさがある。一方、日本のこれからは老人大国、つまり生産人口が減り、逆に負担人口増となること。この解消策として、江戸時代ならおじさんはそろそろ、姥捨て山送りになったのだけれど、寿命の長い今はそうしてほしくない。ではどうしたらよいのか・・・・
(その2)二回目の独り言
(その1)では特に暗い話題を提供したが、今の日本でも明るい話題は多い。特に若い人が自分の才能を活かした、起業家が増えていること。ソフトバンクの孫さんを筆頭に、ITにうまく乗った人が成功者として、テレビでも自信をもってでている。うらやましい。まだまだ、収益との観点からみると、企業としては未熟ながら、彼らの考えはあまり儲けを気にしていない。この時代にやれることをやっておきたい、人生を楽しみ、プレーする余裕がある。それだけいい時代なのかもしれない。おじさんの時代は、腹を満たすことが先決で、楽しんでいられなかった。新しい技術を導入し生産を拡大し能率を上げること。そのために頑張ってきた。しかし、いくら能率をあげて安く作っても、その結果、円高でかえって世界的にはコストが高くなる。これの繰り返し。円高で楽しんだのは海外旅行熱に浮かされている元気なおばさんとおねーさんだけじゃないか?頑張って儲けたお金はどこにいったの? それで残ったのは国の借金と将来不安。これじゃやってられない・・・・。また、だんだんと暗くなってしまったので今回は終わり。(その3)10年後の日本
日本はドイツの10年後を歩んでいると言ったドイツ人がいる。確かに、結婚しないで同棲している人、それが異端児にならない風習など、最近の日本をみると、妙に納得できるものもある。ドイツでは10年以上前から結婚しないで一緒に住む人が多く、知り合った人の中にも多かった。ある人の生活ぶりは徹底した金銭の分担で、男は場所の提供、それ以外の食費から電力費等まで確実に折半する。もちろん朝飯は自分で作ることになるが食材は自分持ちとのこと。女性の働く場所が増え収入の増加とともに女性が強くなったと言っている。今でこそドイツの女性は完全に男どもを下に敷いているが、第二次大戦前は日本と同じように男尊女卑だったらしい。経済の発展とともに女性が強くなり、男が弱くなったらしい。これは日本と同じだが、進み方は日本より早かった。やっぱり、戦争が無いと男はあまり必要ないらしい。これは動物と同じで、戦う相手がいないと其の能力(男と女の特性の違い)を誇示できないのか? これが正しいとすると男がいる限り、戦いの無い時代は永久にこないことになるが?いよいよ日本も同じ状況になってくるのか?
その4)山歩き
去年は山歩きにこった年だった。今年は都合であまりいけない。去年の暮れに登った鶏足山でルートを間違え、危うく遭難の危機に陥ったことも原因の一つではある。(詳しくは“栃木の低山ハイク”を見てください)低い山だからと言って侮ってはいけないことを実感した。山歩きといえば昨年は白笹山で曲がり竹(根曲がり竹とも言うらしい。姫竹とも言う)の筍をとり塩茹でにし、食したがとてもおいしいのでびっくりした。スーパーでも同じものは買えるが、自分で取ったものは特においしい。新鮮なせいもあるが。曲がり竹の筍は竹の根元から横に伸びる。このため、最初はなかなか見つからない。この筍は熊の好物らしく、筍取りには熊に気をつける必要がある。竹やぶの中でいきなり熊と鉢合わせでは勝負にならない。竹はその後、垂直に伸び2メートルくらいになる。笹とは違い、皮は全て剥けて落ちるため、日当たりのよいところでは黄色になってきれいだ。形としては J 型の感じ。雪が深いところでは、雪の重さでまっすぐな普通の竹では折れてしまうがJ型のため雪で撓んで水平になっても、雪が解けると元のように復元できるからと思う。自然はよくできたもので、雪に負けないようにできている。雪深い会津では普通の竹は無いらしい。詳しくは次回
(その5)会津の竹
会津が好きで年に何回は訪れる。会津の良いところは@自然が多い(山が多い)。A会津には信号が少なく道路が整備されている。B観光客が少ない。C近い。Dこちらから行くと何となく都会から行っているような半田舎人特有の優越感に浸ってしまう。でも会津田島でルーズソックスの女子高校生を見たときはショック。
会津には茅葺屋根の集落があり、最も有名なのは大内宿で、ここはあまりにも観光地化されすぎているきらいがある。観光地化のための保存か、保存したための観光地化か分からなくなっている。ただ、江戸時代の宿場町を見たいとしたらこの近くでは最もそれらしく、かやぶき屋根が連なっている。ここでは珍しいので“栃の実もち”を食べてみたが、味は米のもちのほうがうまい。曲がりや集落として、岩館村の前沢集落がある。この集落に入るためには橋の手前で入場料(400円だった)を支払うが、こちらは生活実感があり好ましい。集落内は普通の民家が建ち並び生活している。この集落の中央には、住んでいない家屋を移築し公開している。茅葺屋根は防虫のため、囲炉裏が必要で、煙を炊かないと屋根がもたない。そのため煙が屋根の茅に行き渡るよう囲炉裏のあるところは天井が無く、茅が剥き出しとなっている。茅の下を支えるものとして普通は竹を使用し、これが長い間に変色しすす竹として貴重な建築材として再利用される。ところが会津では、竹の替わり丸木が使用されている。ここを管理する老人に聞いたところ会津には、普通の竹が無いためとの説明であった。注意してみると確かにこのあたりには竹林は見当たらない。日本に竹の無いところがあるなんて、しんじられる?そういえば、北海道にも熊笹しか無かったような気もするが。つづく
(その6)White Out
今日は織田裕二のホワイトアウトを見てきた。今日が封切りで、夜7時からの客はあまり多くなかったが9時30分からの上映では行列が出来ていた。こんな遅い時間でこんなにたくさんの人が集まるなんて、予想以上に人気がある。以前に小説では読んでいたが、小説よりおもしろく出来ていると思う。でも、織田裕二かっこいいね!踊る大走査線でもかっこよかったけど、今度はスーパーマン並みの活躍で、かみさん、娘ともに感激していた。ぜひ、見に行ってください。簡単にストーリーをいうと、奥遠和ダム(原作からは、奥只見ダムと考えられる)が過激派の赤い月に占拠され、ダムをたてに政府に50億円を要求。これに立ち向かうのが、ダムの管理をしている富樫君で、一人でこれを解決してしまう。これでは解説が簡単すぎるが、実際はもっと複雑で面白い。酸素ボンベを背負ってダムの導水トンネルの中を通り逃げるところは圧巻。あとは映画館で。(その7)Rio おじさん
“おじさんの独り言”の読者から何でRyo ではなく Rioなのかとのご質問をいただいた。発音からすればRyoが正しいのですが、Ryo(リョ−)は外国では発音が無くほとんどの人がリョーと言ってもらえません。そこで発音の簡単なRioにしています。 Rioはスペイン語の“川”で リオ デ ジャネイロ、リオ グランデなどが町や川の名前に使われています。そういえばメキシコでは現地人と間違われたり、道を聞かれたりしたので、スペイン語系には親密感を感じています。ソンブレロをかぶり、ロバを引いている自分の写真をみて、“なるほど、どう見てもメキシカン”と納得しています。写真を見たい人はメールください。みてもつまらないですが。
Rioつまり川の流れには興味があり、そこで思川の源流を訪ねているわけです。思川は小山市にくると生暖かく、石には藻が付くように富栄養化していますが水の色自体は姿川の汚れが改善されてため大分よくなっています。子供のころは姿川との合流部(小山市三拝河岸)を泳いで渡ると川の半分までが真っ黒くにごって、境界線ができていました。そのころの思川(小山市飯塚付近)は3メートル位の深さのところでも底が見えるくらいきれいでした。今では、粟野町まで行かなければきれいな思川にはなりません。また、水がきれいになったはずの姿川の上流には冷蔵庫から家庭ごみまであらゆるものが川原に捨てられています。(特に悪いのは国分寺町と石橋町)一度これを見てからは水道の生水は飲めなくなりました。こんな水を飲んで毎日生活していたら、これからの日本人の平均寿命は短くなるでしょう。でも、年金の問題とか高齢社会の問題は自然に解消され、これはこれでHappyかもしれませんね。これが自然の摂理というものでしょうか。
大分前に小山市に姿川のごみ問題でメールを送りました。思川に集まる流域の市町村で首長サミット開き水質の改善について議論してほしい提案しましたが、無視されてしまいました。自然環境は変わっても政治はいつまでも変わらないね。(その8)心臓カウンター
ある研究者によると哺乳類の全生涯の心拍数はゾウでもネズミでも、また、人間でもほとんど同じで、約30億回らしい。体が大きくても小さくてもあまり変わらない理由は分からないが、生命体としてみると一緒なのか。やっぱり人も動物だなと実感。ちなみに心拍数が70回の人が30億回に達するのは、計算すると約81年となる。これは日本人の平均寿命と近い。そういえば昔ネズミを捕まえたとき、その鼓動がとっても早かったような気がする。寿命が心臓の鼓動数で決まるとすると、緊張したり、危険な目に会って心拍数が多くなると、寿命を縮めていることになる。長生きしたければ、安息な日々を過ごし、鼓動を早めないことだ。そのうちに、万歩計のような心臓カウンターが売りに出されるかもしれない。毎日、消化した鼓動数と残りの回数がでてくる。残りの回数を見ながら生活すると、よけいあせって心拍数が増えたりして、大変だろう。でも怒ったら、残り回数が急激に減ってゆくので、怒る人は少なくなるかも。いつも怒っている上司にはぜひ持たせたいものだ。需要が多そうだ。開発するば売れるかな。でもつけたがらないだろうなーすぐ怒る人は。やっぱり売れないか?。タバコ、酒も心拍数を早めるのでやめたほうがいい、がどうしようと、悩みながら一服つけるおじさん。懲りないね。
(その9)茅葺屋根の下にはなにがあるの?
会津、前沢集落の話のつづき。
前沢集落の見学用の建物を管理している老人とすす竹の話をしていると、おもむろに懐中電灯を持ち出してきて「面白いものを見せてあげよう。」と茅葺屋根の一番高いところに光をあてた。そこには木彫りの立派なものが照らし出された。それまで全く気が付かなかったが、黒くすすけた茅の下には、黒光りしているかなり大きな男性のシンボルが吊り下げられていた。「何だこれ」と驚くと、おじさんの説明では、子孫繁栄を願って、男女セットで殆どの家に飾ってあるとのこと。この民家をみなで解体し、この場所に移築したときに、誰かが女の方を持っていってしまったらしい。おじさんがおもわず、「しょうがないやつがいるね!」というと、この老人は「そうだ、そうだ」、と。お互いに年の差をこえて妙に共感。そのとき、盗んだ犯人からこの人は除外できると確信した。一緒に写真をとったが、今も元気でいるといいな。
前沢集落へは塩原温泉からまっすぐ尾頭トンネルを抜け、上三依の会津街道に抜ける。山王トンネルをこえ福島県に入り、田島の道の駅をすぎると野岩鉄道のガード下に信号があり左折して檜枝岐・尾瀬方面に向かう。高杖スキー場、湯ノ花温泉の看板を過ぎるとしばらくして左側に前沢集落がある。小山から2時間30分くらいかかる。尾瀬の御池までは更に1時間くらい。
その(10)赤の女王仮説
イタリアの作家、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」の中で、赤の女王にアリスが尋ねる。“女王はなぜいつも走り続けているのか?”女王の答えは“同じところにとどまるために、私は走りつづけなければならない。”と答える。この意味は色々と解釈されているが、一般的には、「もし、現状を維持し続けたいなら、絶えず、自分が変化してゆかなければならない。」と解されている。かの、自由党の小沢氏が好んで使う言葉である。このことばは有性生殖の進化に対して、“赤の女王仮説”として知られている。生物は子孫を多様化し、あらゆる環境の変化に対応できるように、新たなものに作り変えてゆく必要があること。つまり、オスと雌は遺伝子の組合せをより複雑化するために存在している。オスと雌が半分ずつ遺伝子を出し合い、子孫となる遺伝子をより複雑化し環境の変化に対応してゆくことを〔赤の女王仮説〕といわれる。アメーバのような雌雄の無い動物でも、お互いにくっつきあい遺伝子を交換することが行われるらしい。これは交尾ではなく接合と呼ばれている。このように、生物が環境の変化に耐え、生き延び続けるために、絶えず自分を変化させてゆくが必要である。これは一般の企業でも、国でも同じである。その地位に留まりたいなら、自らから変化しなければならない。変化できなくなったものは競争から取り残され、その地位に留まることはできない。衰退し、やがて消え去るのみということである。さて、我が国は?わが会社は? おじさんには無理かなー?・・いまさらかわれったて。若い人に期待しよう。最近“たけし”も言ってるね。“変われるって ドキドキ カローラ” そういえば”かわらなきゃのイチロー”はだめだったね・・・。
(その11)おじさん元気なし。
オリンピックのサッカーはアメリカに負けた。もう楽しみなし。ショックで今週は何も書く元気なし。