過去の独り言 2
(その12)拝啓しんきろう総理様
わが、日本で一番えらいしんきろう(森 喜郎)さんが実は売春防止条例でつかまっていたとは。見つかったのだから“若気の至りであった。”とクリントンさんのように素直に認めればいいのに。あんがい簡単に済んで、警視庁に手を回す必要もなかった。
クリントンさんといえば、沖縄サミットの蜃気楼総理を再現。
【場面1 会談を前にした蜃気楼総理と秘書官のやり取り】
〔総理〕 クリントンさんにあったらなんと言えばよいのかね ?秘書官!
〔秘書官〕最初は挨拶ですから“ハウ アー ユー”が適当でしょう。総理!
〔総理〕うん、わかった。で、つぎはなんと言えばよいのかね?えーきみ!
〔秘書官〕大統領は“ファイン サンキュウ 、アンド ユー?”と答えてくるでしょうから“ミー ツー”でよろしいかと!
〔総理〕わかった。“ハウ アー ユー”と“ミー ツー”のふたことでいいのだな?
〔秘書官〕結構でございます。
〔総理〕“これで、わしも英語がしゃべれないとバカにされることはない・・・。”
〔秘書官〕“そのとおりでございます。総理!”
【場面2 大統領と会談本番】
〔総理〕 大統領と握手しながら “フー アー ユー?”
〔大統領〕 ・・・・??? これは冗談か本気か ? わからず。さすが大統領気を取り直して
“ミセス ヒラリーズ ハズバンド・・・”
〔総理〕 つぎは確かこれだ “ミー ツー”
〔大統領〕なんだこれは ????・・・
大統領がなんと答えたかはわからない。“ぜひどうぞ”と言いたかったことは確実だろう。
その13)榊ってやっぱり神の木だった。
我が家には長寿の榊がある。長寿といっても2年だが・・・。 1998年9月に伊勢神宮におまいりに行った。伊勢神宮は幽鬼迫るものがあって、初めて訪れたおじさんにとって、全身に何かを感じるものがあった。あの場所は何か違うものがあるような、今までに感じたことがない異様な体験をした。そういうわけで、けちなおじさんとしては珍しく、2500円の普通では考えられないほど高いお札を買ってしまった。家には神棚がないので長押の上においてあるが、高いお札なので榊を供えることにした。ちょうど、庭にスズメが運んだ種から生えた榊が3年目で、一番下枝を切って花瓶にいけて供えた。それから今年の9月でちょうど丸2年間、花瓶のなかで生き続けている。もちろん1週間で水は替えているが、3ヶ月目から根が生えだし、今では新芽も伸びて新しい葉も出てきた。新しい葉は若干色が薄いが立派な葉である。水だけで2年も生きるなんて、確かに不思議な木だ。山に行くと榊の自生しているところは沢沿いの日陰のところで、環境が似ているせいか。こんなに強い生命力のある木を大昔の人は敬愛し神ノ木としたのだろう。理由無く名前は付けられていないことを実感した。これがいつまで花瓶の中で生きられるか、というより生かさなければという義務感で、そろそろ地面に植えたくなった、昨今である。(その14) 気持ちは今、ベイルート
昨日は宿敵サウジアラビアを4対1で圧勝。オリンピック以来の祝杯をあげられ、飲みすぎた。いつも肝心なときにシュートをはずす柳沢と高原。昨日はほんとに入った? 信じられない枠内のシュートでゴールを決め幸運なスタート。これでアジアカップはいただきだ。名波も久々の全日本で復活し、1ゴール。今週も水曜、土曜と楽しみが増えた。水曜は夜11時からで、翌朝がきついけど勝ってくれれば、なんとかなるだろう。しばらくはアジアカップ観戦で忙しい。そういえば、我が地元の栃木SCも地元で初勝利、念願の最下位脱出、やっぱり自分が応援に行かないほうが勝つみたい。みんなで応援しよう栃木SC.次回のホームゲームは11月5日(日) 対本田技研戦(栃木グリーンスタジアム−宇都宮清原工業団地内)13:00開始
(その15)アメリカ大統領選挙
アメリカではゴアさんとブッシュさんが大統領選挙でしのぎを削っている。どちらが勝つか興味ある。ゴアさんが勝てば民主党の連勝となるしブッシュさんが勝てば、親子で大統領になる。いずれにしても日本にとっては大きな影響を与えることだろう。どうも頭の程度は同じくらいとの評価で定着したが。で、どちらが勝つか予想してみる。アメリカは今でも西部劇の世界が続いている。アメリカでは強いものが、正義が勝つのである。人を殺しても、後から拳銃を抜けば誰からもとがめられない。今、二人を西部劇の中に置き換えてみた。
ブッシュ氏の場合 乾いた砂混じりの風が吹き荒れる西部の田舎町。通りにはブッシュが風で飛ばされ、酒場の前の馬寄せに集まっている。酒場の中では、娼婦と戯れ、騒いでいる連中を横目でみながら、安いウィスキーのロックをちびちびとなめている。頭には上に反り返ったカウボーイハットと腰にはやや銃身の長い拳銃 。拳銃はできれば使いたくないと思っているが、その顔には、眉間の縦皺がよく似合っている。正義の味方ブッシュ保安官。
ゴア氏の場合 丸いテーブルを囲んで4人がポーカーに熱中している。その中でもひときわ大きな体格と、なでつけた頭が印象的な人物がいる。彼はこの酒場のオーナーで町の顔役。格好はよいが今ひとつ実力がよくわからない。
おじさんの予想では6対4でブッシュ氏が勝ちと見たが、あたるかどうか。楽しみにしようアメリカ大統領選挙。
(その16)新米がおいしい季節
外国で一番食べたくなるのはやっぱりご飯だ。梅干が食べたくなるという人もいるが、ご飯プラス梅干なら最高。一粒の米の種は800粒の米となる。増加率は麦や他の穀物を圧倒する効率のよさだ。人間なら10人子供を産んでも5倍にしかならない。それだけに耕地面積の少ない日本には最適な主食で米がなくなると日本は一億2千万人の主食は得られない。麦から出来るパンを主食にすると半分以下の収量となり、今の人口は養えない。冬の雪は春先の田を潤しまた梅雨は米の成長に欠かせない水で、日本には米の栽培に最適な環境がある。長い間の歴史の中で米を主食に選んだ弥生時代の人たちの素晴らしい発想である。米が無ければ今の人口は養えず人口が三分の一くらいの中流の国家になっていたろう。今、アフリカの人たちが飢餓で苦しんでいる。しかし、昔からそうであったのか。アフリカの大地に適した主食をやめて、欧米流の麦を主食にしたからだとの説がある。その場所に適した穀物を主食にすることにより飢餓は起こらないはずだ。なぜなら、長い歴史に中で生き延びてきたのだから。つまり、 お米を食べよう
その17)神の手は一度
ブッシュさんとゴアさんの戦いは、予想以上に接戦、おじさんの予想ではやはり結果的にブッシュさんが勝つだろうと思う。数えなおすたびに、その差は縮まり、フロリダの得票約250万票あるなかで、300票差でブッシュさんリードとなっている。海外投票を加え、いつ結果が出るか楽しみだ。出来れば一票差で決してほしい。最後に到着した海外投票はだれのかわかるはずなので、公表はしないだろうがうわさでわかるはず。大統領を決める最後の人がでれば楽しい。期待しよう。ところで、日本でも予想を越える事態が起こっている。考古学者が遺跡の発掘物を自分で埋めるとは、ちょっと予想できないことだ。自分で掘り出して50万年前のものと断定する度胸には恐れ入る。八百長相撲より質が悪い。八百長をやった藤村氏は50歳、おじさんと同じだ。いろいろな背景事情を聞けば感慨深い。神の手は一度にしておけばよかったのに。手を使ってゴールしたマラドーナの神の手は一度だけだから神の手だったのに。
(その18)団塊の世代は今、曲がり角か
話では、犯人としてとらえられた女性のほとんどは“私は悪くない。悪いのはあの人だ、あの人のせいだ”というらしい。自分の罪はなかなか認めず、特に決して他人の罪をかぶったままでいることはほとんど無いらしい。女の場合は身を守ることには非常に敏感で、それが子を守るための当然のことなのかもしれない。男の場合は妙にあきらめが早く、あるところで人生観を達観してしまう人が多い。最近の現象として、17歳の犯罪が話題となって、学校、家庭の教育が問題視されている。一方、17歳の親の世代である、45歳から55歳の中年に強盗、殺人などの凶悪犯罪が多くなっている。宇都宮の宝石店強盗放火殺人、埼玉の保険金殺人など、よく見ていると48歳から53歳くらいまでが多い。人生の先が見えて、一発勝負にきたのか。男の更年期かそれとも、秋風が身にしみるころとなってきたのかは分からないが、団塊の世代が危険世代になってきた。おじさんもこのど真ん中だ。(その19)加藤紘一の乱
泰山鳴動してネズミ一匹で出ず。今回の“加藤紘一の乱”とは一体、なんだったろう。かの蜃気楼総理はまたしても届くと思えば去ってゆく、まさに蜃気楼。内閣不信任案の否決時の不適な笑みが忘れられない人は多いだろう。同士の山崎拓氏からは表明するのが一週間早かった。切り崩しの時間がありすぎた。との指摘があったらしいが、こういう結果になるような気がしていた。加藤さんへの非難は多いがおじさん、なんとなく分かる気がする。加藤さん、政治の経験が長すぎたかな。
国政は相変わらずだが、地方自治は徐々に変わってきた。先日、小山市のホームページから、自治医大方面から小山市街への道路の不備を指摘して改善を求めるメールを送ってみた。早速二日後には返事がきて、来年には工事が始まるとのこと。こんなこと今までに無かったので感激。日ごろの問題は小山市のホームページからメールを送ると親切に解答してくれるので、ぜひ一度、トライしたらどうでしょう。これが進んでくると、いまいる市会議員は要らなくなって失業しちゃう。どうしよう先生がた。(その20)トレッキング
ハイキングの印象はグループでの歌声と弁当の楽しみが期待されるが、トレッキングには、なんとなくあてなき山歩きしている感じがする。おじさんの山歩きはどちらかと言えばトレッキングが当てはまる。栃木の山歩きでは33の山を登ったが、そのうちの20を栃木の低山ハイクとして紹介している。山歩きでは、人間が動物的となるか、人間的となるか、そうな気がする。山歩きの途中で人に会えばほとんどの人が挨拶するし、挨拶を返される。面白いことには挨拶にも一定のルールがあって、コースの入り口などでは、ハイヒールやスカートの人が見受けられるが、この服装では挨拶されない。お互いに格好が重要なのである。リュックを背負い、ちゃんとした山歩きの姿が必要なのである。歩きながら一瞬にこれらを見抜き挨拶すべきかどうかを判定する。このタイミングが悪いと挨拶が返ってこないことがあり、面白くない。また、山に行くと妙に親切になる。帰り道で見つけた真新しいジャンバーを拾って、下で休んでいる人に声をかけたら持ち主が現れ感謝された。こんな親切も街中であれば確実にしないし感謝されることもない。また、行動でも異常となり木の上からおしっこをしてみたくなったりして、猿真似をしたくなる。子供のころに戻るのか、サルの時代に戻りたいのか自然に触れてみると本能がうずく。山歩きでは、頼りになるのは自分の手足だけである。先日は600mの比較的低山で、3時間も歩いた後に、急な壁を鎖を頼りに100メートルほど降りたら、急にルートが無くなり、夕暮れも迫っており、鎖を頼りに再度登り同じルートをかえった。あのままくだりに挑戦していたら、遭難の可能性もあったと思う。ここで頼りになるのは自分の手足だけで、疲れても自分の手足だけが唯一の味方。便利なものは何も無い。まさに自然を満喫するとは危険と隣り合わせで、最近では谷川で岩登りをする人たちの気持ちを理解できるようになってきた。なんであんな危険なところに行くのかと問えば“そこに危険があるから”というだろう。
若いころには考えなかった自然への回帰もやはり、精神的な老化が成せるのかも知れない。おじさんしんみり。